帯広のエゾリスの橋に意味はあるか?
帯広のエゾリスの橋のうち、ブログ管理人が把握しているのは大空団地とある小学校前のものです。
大空団地のものは交通事故があったから建てたものではなく、このような形状でもリスが使うのかどうかの試験です。そういう意味では役割が終わっています。
小学校のものは私も知らないうちに建っていたのですが、「車道の拡幅で森の分断が広まったことに対するの保証」としては「何らかの対策を」しなければいけないという意味合いでしょう(か?)。また、小学校前のものは河川に沿った林をつなぐ方向性があり、これはよい方向性です。また2本もあり、片方は車道の青看板の構造と一体化させており、落雪などいくつかの問題を減らすことが出来そうです。
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しかし、1設置前のエゾリスの行動と数。2設置後のエゾリスの行動と数(橋を使わなかったものも含む)3この地域全体のリスの生息状況
このどれもが把握されていません。ですから、この橋は現在のところ評価対象に出来ません、つまり、仕事の意味を見いだすことが出来ません。
(ブログ管理人は、小学校の橋の真下で、エゾリスの死体を拾ったことがあります。)
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では「リスの橋」という概念そのものはどうでしょう?
私は懐疑的です。
・エゾリスの橋はリスの交通事故発生地点を分散する働きがある。
言えることはこれだけです。孤立した森同士をダイレクトにつなげられないのなら、事故の場所が変わるだけです。
もちろん1〜3をよく調べて考えれば別です。
しかし・・・その前に・・・
根本的なことが抜けています。
なぜエゾリスだけを厚く優遇しなければいけないのか?理解できません。
ブログ管理人の目にはエゾリスは既に飽和状態を迎えているように見えます。いろんな街のいろんな森を見てきましたが、エゾリスが日常的に複数見られる状況そのものが異常です。帯広の人は昭和60年代以降、これを普通だと思い込んでしまっているのです。
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事故を減らすということは、(橋がうまく機能するかどうかは別にして)考え方として、リスをもっと増やすことになりますが、増やしたエゾリスをどうするのでしょうか?何か明確なビジョンがあるとは思えません。
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もし、エゾリスが減少の一途をたどっているのなら別ですが、実際には逆です。
市街地では昭和20年頃にリスがすめるよう林は少なく、昭和40〜50年代に針葉樹が増えた市街地の林に侵入して、平成にかけて増加、最近の強烈なドーピングと例えてもよい餌付けで異常接近するようになりました。個体群の中の競争は熾烈なものになっているのではないでしょうか?これをさらに高密度にするのでしょうか?いまの状態を「減っている」と認識する人はいないでしょう。
エゾリスの数が増えれば、事故が増える。こんな事は小学生でもわかります。あれ?事故を減らすために橋を架けるんじゃなかったですか?矛盾していますよね。
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エゾリスの橋よりも、いまの野放図な餌付けへの対策を行い、適正な生息状況を考えそこへ導く方法をさぐることが大切と思います。