エゾリスの会 非公式ブログ!

北海道帯広の環境系まちづくり団体「エゾリスの会」会員による非公式ブログ https://noken.hatenablog.com へ引っ越し

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人前で作業するエゾリス


北海道帯広市 帯広百年記念館(博物館です)玄関前でチョウセンゴヨウというマツの実をさばく作業をするエゾリスを撮影しました。
ふるいデジカメの動画機能を使ったので画像は良くないですが(おまけにぶれちゃってますが)、ご覧ください。
チョウセンゴヨウの松ぼっくりの鱗片をはがしているところです。ほとんど全部はがしてから種子を食べたり埋めたりします。

帯広市をはじめ、この近隣のエゾリスは、生まれたときから人間を見ているので、こんな状態を普通だと思っています。
でも普通の自然環境の中にいるエゾリスはまさに忍者。姿を見ることすら難しいのです。でも、この地域の人たちはこの状態が普通だと思っているようです。

不思議なことに、開拓の頃のお話にはエゾリスはあまり出てきません。むしろシマリスが主役です。「しまねずみ」などとよばれ、よく針金などでつくったくくり罠で捕ったという話を聞きます。

元々この地域、十勝地方の平野部には針葉樹はほとんどなく、半分くらいがカシワ、ミズナラなどのドングリの林で、むしろシマリスの方が主役になりやすい環境だったと考えられます。ところが、明治期から始まった開拓で、昭和20年頃までに帯広市街地であれば97%の林が伐採され、畑などになりました。
ですから、今の帯広の大人たちにとっては97%もの林がない状態が「自然」と認識されているのです。やや郊外でも7%くらいしか残っていない。自然を壊した、壊された実感に乏しい自然感の地域、それなのにエゾリスが見られたりする。これでは自然の実態を客観的に感じにくい。これでは認識が最初から食い違うことになりますね。困ったことです。

チョウセンゴヨウは(注意:以前ここに、チョウセンゴヨウと戦時中の燃料についての記述がありましたが、これは少なくとも十勝では誤りと言えそうです。十勝に導入されたのは戦後であることがわかりました。)旺盛な生長量と冬期の緑を求めて昭和20代前半〜40年までに多く植栽され(「真鍋庭園」による)、その後「屋敷林」としても植えられたようです。このほか、帯広は防風林としてカラマツが、造園資材としてヨーロッパトウヒ、プンゲンストウヒ、ストローブマツなどが植えられており、(トドマツやアカエゾマツは案外少ないです)このことがエゾリスが少ない面積の林で高密度に住める条件を整えたのではないかと考えています。

帯広など十勝のまちにエゾリスが多いのは、このような人為的な環境にエゾリスがうまくフィットしたからだろうと考えています。とはいえ、やはり自然林と針葉樹のセットされた環境のほうが長期的に安定した暮らしぶりだなあという印象を持っています。針葉樹だけだと餌の量も質も不安定すぎるのです。
これを撮影した緑ヶ丘公園も自然林はありますが、餌付け量が多いためエゾリスの暮らしぶりをみて、それをそのまま公園の自然環境を評価に結びつけることはできなくなっています。


さて、件のエゾリスは動画の解体作業に入る前、こんなことをしていました。

アップしてみると。

はじめはチョウセンゴヨウの果実をおいてあった側の切り株に持ち上げようとしたり、解体作業をしたりしているうちに姿が見えなくなったので、のぞいてみると、木の陰で地面にべったりと腹をつけてしばらく休んでいました。犬のようです(笑)。暑かったんだね。
撮影していた私も少しくらっとくるような日差しでしたから。
エゾリスがこんな風に休むのを初めて見ました。