帯広の人の自然観
自然に対する畏怖がない。
自然は邪魔でない限りおいといてやってもいいが、邪魔ならどけてもいい。と思っている。高飛車。
ところが
頭ではそう思ってはいない。むしろ自然が大好きで自然を大切にして自然のたくさんある街にすんでいると思っている。
→しかし身についていることは真逆。そのことに気がついていない。
→【自然とは何か】が違うようだ。帯広の人に「身についている自然」は、木も人工物もない何もない空間のことらしい。
市街化区域とその周辺に、4%ほどしか残っていないまとまった林。重要でない林は、もやはない。
それが、この数年間で凄まじく痛めつけられた。いいところばかり伐られた。埋められた。多少の反省はあったが、これがまだ続く。
帯広は平らだ、林を伐ったら山崩れが起きるとか、洪水が起きるとか、そういう困った目にあまりあっていない。
とても人間に甘い環境。その甘えの中で身につけた自然観・・・・・・・。
さて、この地域の人たちは「環境と共生する力」は高いでしょうか低いでしょうか?
環境と共生する力とは「地球の自然環境に適応できるかどうか」の能力です。
どう転んでも高いとはいえないと思います。
そういう人たちはこれからの時代には求められていないと思います。
しかし一朝一夕には変わるはずもありません。
頭ではわかっても、身体がついてこないでしょう。
自然とは頭でわかるだけではダメで「身につける」ことが必要です。
だからそこに「里山をつくろうプロジェクト」の意義があると思います。
帯広に「帯広の森」がある意義について、もっともっと評価されなければいけない。