エゾリスの会 非公式ブログ!

北海道帯広の環境系まちづくり団体「エゾリスの会」会員による非公式ブログ https://noken.hatenablog.com へ引っ越し

         https://noken.hatenablog.com  へ引っ越ししました。

帯広の森意見交換会

当ブログ管理人は仕事としても、市民活動としても、約15年以上、自然観察や環境教育をやっていて、それが出来るようになるまでは膨大な観察や実験、経験の積み重ねがあるわけです。今回の意見交換会においては、そのような経験がほとんど無い一部の行政方が、「自然の普及のプロや経験豊富な市民」に対していたずらに「利用という普及のイメージばかり」を主張するというおかしな現象が見られました。
聞きようによっては「帯広の森」の管理という言葉を消し、利用ばかり目立たそうとしているように見えます。行政の本意はどこにあるんだろう。

例えば、です。利用の例としてあげられていたこと、何をやっても「帯広の森」のプラスにはなりうるはずです。ただし「それをなぜやるか?=帯広の森とアクティビティとの関係性」を森の管理者が押さえていなければ「森の消耗」は増加し、プラスは減ります。人間がたとえ困らなくても、損をするのは「森」ということになります。そういうことは念頭にあるのかどうかなど、イマイチ見えなかったというか、不安要素の方が見えてしまったというか・・・・・。

帯広の森」の普及を行うために何が必要か?
1.いい普及を行うには、膨大な一人の時間、膨大な自然と向き合う時間が必要なのです。「帯広の森」を「管理する」とは、森とひたすら向き合うということです。
自分は仕事でカエルを調べる連続講座をしていますが、この受講生が一般向けに口で発表をしたのは、はじめてから3年目です。エゾリスの調査の発表をしたのは10年目です。「野鳥の会」の会員でもありますが、会員と言えどもみんながリーダー出来るわけではないんです。何年もかかるのです。
仕事で関わっているボランティアたちは、一年をかけて講習しますが、デビューはさらに1年以上あとです。

2.楽しみを享受する側に立ってみれば、
「自然の質」だけなら、農業高校や畜大周辺、「使いやすさ」なら緑ヶ丘公園や札内川の河原、「非日常」ならエコロジーパークの方がはるかに上です。

3.では「帯広の森」の特徴とはなにか?
「市民が植えて市民が育てていること」「様々な環境がモザイク状に存在すること」「各林分の成長段階が異なること」「子供がちゃりんこで来られること」このような部分に立脚することが最も有利です。

4.帯広の森」は、そもそも「森づくりへの市民の参加」ではじまり、ずっとそれで引っ張ってきたのですから、利用活用を考えるときに、森づくりへ市民が参加することを始点にして話を枝葉のように広げることが最もやりやすいと思います。
そうして人的、能力的資源を「引き出す」のも行政の役目の一つでしょう。例えば2.〜3.に示したような話のすすめ方をするだけでも随分いろんなことが見えてくるのです。

しかし、表面的な方針に固執するあまりなのか?(・・・正直ちょっとわからない。自分が今回感じたことがはたして行政の方向性なのか?よく見えない部分もあった。何なんだろう? この行政が人の意見を聞くのに慣れてないだけ? と申し上げておきましょう) いままでの積み上げをぶった切って、活用の話だけされても、そうねそう言うこともやれるよね、以上の話題にはなりません。活用のための「管理」が増えるということも見えているのかどうか・・・・
「専門はいらない、みんなで創り上げればいい」という言葉の本当の意味がわかっていれば、いままで「みんなで創ってきた」ことから話を広げるはずですが、「何も積み上げたものは持ってない」と受け取れることを行政がいうのは矛盾でしょう(てか、仕事としてどうなの・・・)。そこで、持っている。いままでの積み上げをみんなで確認することも必要では?ということは言いましたが・・・。

帯広の森管理センター基本構想」
http://www.city.obihiro.hokkaido.jp/mpsdata/web/1218/002.pdf
(大きいファイルです)
今回のお話は上記PDFの「帯広の森 管理センター」の方向性を出したときに話してきた「利活用」よりもずっと貧弱と感じました。当時は私も委員に入ってきっちり体系立てた論議をしましたから。管理センターのPDFは読んでみても納得のいくものです。
同じ文言でも、体系、積み重ねを踏まえているか、それが見えるかどうかです。
帯広の森 管理センター」で論議された利活用よりも「(仮称)帯広の森 市民活動センター」で出された利活用のほうが貧弱に感じるのはいったいなぜか?たとえやることが同じであっても「森づくりの厚み」の上に立っているかどうかを、その場の参加者が踏まえられるようなお話の進め方をしないからだと思っています。

・ん?「たくさんのお客が来ないと困る」そんなことは20年以上前からいろんな施設でボランティから叩き上げたこの自分が一番よく聞いているわけです。・今回は聞いているうちに「十勝の商売はほとんどが武士の商法なんだ」という評判を思い出しました。好評を博している「藤丸デパートへ他地域への買い物バス」を引き出したのは東京のコンサルだとか。武士の商法、自分ではなかなか気がつかないんでしょうねぇ。・そもそも「帯広の森 市民活動センター」という名称に執着しなければならないほど集客力があるとは思えないのだが。

結果として森づくりにつながるおもしろい利活用プログラムづくり、一人でもたくさん考えることは出来ます。経験は積んでますから。しかしそれよりも、みんなで考えてつくりあげていくという意義は間違いなく大きいと認識しています(ここは行政とも今回の参加者とも認識はかなり一致しているはずなのですが・・・)。
そして「帯広の森」の森づくりに関わっていれば、それが森の成長のようにゆっくりと確実なものであることがわかります。
そのような体系的な視野に立った話し合いが出来ないとすれば、残念だし、かわいそうなのは「森」ということです。
管理の流れのなかでの利用について、いくつか、具体例を挙げて水を向けてみたのですが、やはり体系が見えていないために、そこに気がついていただけなかったかもしれません。

先日の伐採といい、管理能力に疑問を感じざるを得ない状況
http://d.hatena.ne.jp/noken/20090215/1234697847
にもかかわらず、危機感が感じられませんでした。たいへん残念です。

第3者的な司会が必要だと思います。 この意見交換会は、今後も続けていくのです。森づくりにも指揮者は必要ですね・・・・


同時に、エゾリスの会としても、いままで現場で地道にやってきたことの、より強力な「社会化」の必要があるように思えてきました。簡単にいうと写真展や、講演会や、出版や、ワークショップでも観察会でもまあ何でもいいのですが、「社会化」は上で言っている「普及」のようなものです。
エゾリスの会は、観察会、調査、森づくりなど年間20回を超える活動をしています。写真集も出しています。しかしまた何か別な手段を考える必要があるのかもしれません。

現場をやるのはコアで熱い人たちをつくるためで、その熱を地域に広げていくことも確実にやっていかないと、上で私が書いているようなことは伝わりにくかもしれませんね。
このブログも社会化の一つではあるのですが。