エゾリスの会 非公式ブログ!

北海道帯広の環境系まちづくり団体「エゾリスの会」会員による非公式ブログ https://noken.hatenablog.com へ引っ越し

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対立点を回避したアクションとは

対立点を回避した環境施策は真に必要な施策足り得ない。
対立点を回避したようなアクションは自然を守る力になれない。

少し雑な表現とは思いますが、あえてこう言ってみました。

ここ数年、地球温暖化という言葉が一般的に知られるようになってから、様々な「エコな運動」が見られるようになりました。これらアクションのほとんどは、環境と生活の関係を見直すきっかけであろうと思います。

ゴミの分別をちゃんとする、余計なものは買わない、エネルギー効率を考える、環境に負荷をかけない・・・言い方はちがいますがどれも似たようなことです。
これらはエコ以前の「やって当たり前のこと」です。やって当たり前のことをやるだけでも、環境負荷は随分少なくなるし、いろいろ学ぶところがあります。

この次元の活動が活発になることにはある期待がかかっています。社会がより突っ込んだ環境施策、自然を守るためのアクションに踏み出そうとしたときに、これを受け入れやすくするということです。
逆に言えば、この次元の入り口論的アクションだけをいくらパーフェクトにやっても不足で、次の段階にすすまないと社会は必要とされているところへは動かないよ、ということです。

そこで冒頭の言葉です。対立点がある運動をやるかどうかです。
行政に意見を言う、自然環境を守る、緑を増やす、餌付けはダメよと言う。あるいは行政が何かの(自然も守ったり増やしたりする)施策を行うことにも対立点が生じます。それらは試行錯誤しながらでもすすめなければ「自然環境に適応した社会」は実現の方向を向かないと思います。

ところがいま「入り口論的アクション」だけがどんどん多様化し、中にはホントに意味があるのか分からないような運動が登場しています。
対立点のある運動はしんどいですから、参加しにくい。そこをさけてなおかつ環境に貢献している(気持ちになる)のであればそれに越したことはない、と思うからかもしれません。しかしその気持ちは客観的な視線を失わせてしまうようです。
  (つづく)